いいことは生きているうちにやっておく

いいことは生きているうちにやっておく

「いいことは生きているうちにやっておこう」と考えて、

「非耕作地」で「首塚」のある、寺の隣接地を炎天下に

4時間かけて刈りました。

 

018そうして、「首塚 くびづか」をやっと探しだし「供養」しました。

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隣の家のUさんからは大変喜んでもらいました。土地の所有者からはビールをひとケース、お礼にとして

いただきました。

 再来年に予定しています「晋山式 」の記念事業として、

土地を寺が買い取り、古戦場で戦(いくさ)で亡くなって、首だけを

埋められた多くの方たちの霊を弔い「地蔵菩薩」を建てる

計画をしていましたが、これ以上推進する方がなく、私ひとりでは

できないと悟り、きっぱり計画を断念したいと思います。

(草を刈り、供養した私に何か起こるのかと思っていましたが、

怪我もなく過ごしています)

「成富兵庫 なるどみひょうご」の供養塔と、

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前仏教婦人会長さんが主となって建てられた本堂前の「地蔵菩薩」と、

これらの寺を護る神と一対の地蔵様方は、これから寺を守護していた

だくことと思います。

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今年も8月24日の「地蔵盆」が近づきました。

今日は「鹿島市本庄」の「西蔵寺」さんの「施餓鬼」に

副住職と出かけました。

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「多良岳」が見える、すばらしい場所です。

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僧と生まれ、生かされて、「紫衣 しえ」を着ることもできました。

この世における人々の命は、定相なく、どれだけ生きられるか

わからない。いたましく、短くて苦悩に繋がれている。

生まれた者どもには、死を遁(のが)れる道がない。

老いに達すれば、死がくる。実に生ある者どもは、このとおり

である。

人間の寿命も滅びてしまう。死んだ人の姿というものは無残な

ものである。  ダンマパタ

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「マス」をいただきました。

「殺されるところを見たものを食べてはならない」

ブッダの食事には、托鉢でいただいた小魚もあったようです。

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毎年「西蔵寺」でしかいただけない「ごちそう」です。

寒蘭の「大錦竜」 新芽は出ませんでした。

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「力王」もそうです。

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寒蘭に手が回らなくなったときには、どなたか大事にされる方の

手に渡ることを願っています。

「善いことをして悪いことはしない」

善いことをしようとしても、反対者が多いとできません。

「悪いこと」をどうしてもしたいなら、「いつかそのうち」

やればいいのです。

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