いろいろな出来事があって「地蔵様」のお堂ができた
のは去年のことでした。
お堂の建設を思い立ったのは、前佛教婦人会長さん
でした。
「寄進の募り方が悪いとか」
「総代に言わないで、婦人会長だけで建設をしたとか」
「寄進者に記念品を渡さなかったとか」
それは、まるで「ハチの巣をつついたよう」でした。
八月二十四日は「地蔵盆」でした。
「お地蔵様、あなたの清らかな心から見ると、人間の
心はいいと思われますか? 悪いと思われますか?」
婦人会長さんは亡くなりました。
「お地蔵さん、ごめんなさい。会長さんが、もう辞めます」
と言って寺に見えたのは、今年のことでした。
「私も もうすぐ住職を辞めます」
「ご苦労様じゃないんです。やっと決心された。
来年 さっそく晋山式しましょう」
人は「いいことと悪いこと」とわからないで死んでいくようです。
当寺と同じ「義堂信和尚」が開山された、「長宝寺」さんの
「施餓鬼でした」
和尚さんの掲示板の意味、ようわかります。
いいことをするには、まず、「いいことをしよう」と心に
決めることです。
「お地蔵さん、大変でしょうが「自分が喜びであっても、
他人に迷惑をかけるのは、いいことではありません」と
何度も何度も説いて回ってください。
我々はこの世に生まれてきてまた死にます。
生まれて、そして、また死ななければならないもの、
それが人間です。
考えてみれば、人間とは無意味な存在です。
「人や動物を殺しても、霊魂は死なない」 合理的なカントの
哲学です。
「動物にも霊魂があって、死んでも天に生まれるから
殺してもかまわない」
これは私は間違っていると思います。
道徳を基礎づけるものではないからです。
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