生きているうちに、できることはやっておこう」と私は

思うし、そう考える方が多くなりました。

「このような納骨堂を造ってもらってありがたい」

私にぽつりと兄弟はおっしゃいました。

 

002

 

すでに亡くなった「祖父母、父母、弟」それに今生きている

今日見えた方。

合計 6人ですか。「当寺が永久に遺骨を壺のまま弔い

ます」

他の「合祀 ごうし」にして永代供養のお寺はあります。

樹木葬のお寺もあります。

それなのに、当寺に見える方がぐんと多くなりました。

 

003


「世界や宇宙は永久に存続するのか、ある時期に消えて

なくなるのか?」

今の天文学でも両方の説があります。

「霊魂と身体は同一か別のものか?」

これもむずかしいことです。

 

005

「吾未(いま)だ生を知らず。いずくんぞ死を知らんや」

論語から。

つまり、「自分には、生きていることの意味がわからない。

それなの、にどうして死後のことがわかろうか」

ブッダの道は「立派な人として生きるということ」です。

人間は、特に感情が激してカッとなることもあるでしょうが、

それはいけない、自分のこころを整え、心を静めよということ

です。

006
人間は死後どこへ行き、どういう形になっているかということは、知ろうと思っても確実な根拠は何もありません。

004

そこで我々が為し得ることは「その方から受けた恩を思って

追慕するということ」で、仏典でも薦められていることです。

生き残っている人が追憶の法事をするということに帰着

すると思います。

8月24日は「地蔵盆」です。

寄進者を張りだしました。

建てようと発願した仏教婦人会長さんの願いは、永久(とわ)に

形として残ることになりました。

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本堂にお参りした方は、「地蔵菩薩」にも必ず手を合わせ、

私が知らない女性の方たちのお参りも多いです。

長男が参道の桜の落葉を掃いていました。

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寒蘭に花芽が見え出し、殺虫剤を散布しないで、

ダコニール(殺菌剤)とオルトラン錠剤をふりました。

「払い腰 無名」ふた芽伸びていました。

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