「悪魔いわく
昼夜は過ぎ去らぬ。生命はそこなわれない。人の
寿命はめぐり輪廻する。車輪のやがこしきのまわりを
めぐり回転するように」
いや、死は誰でも寂しいものだと思う。死を喜んで
迎える人はいないのではないでしょうか。
「死を隔離する現代文明」
死は不愉快なもの、寂しいもの、陰気で避けたい
ものですよね。
だから、日本では病院に四階はないし、合理主義の
アメリカでも十三階はありません。
みんなが避けたいものに私は毎月、何十回と向き合い、
寂しい人たちとかかわっています。
人には「ご苦労様でした」と枕経の後に顔にふれて話しかけ、
ペットちゃんにも「大変だったね。ご苦労さんでした」と体を
なでてあげます。
合掌してからごはんをいただいていたり、私にはできない
ことを人にやってくれて、長寿だったら18年。
今日も「七七忌」の供養後、納骨されました。
家族全員で子どもたちは泣きじゃくりながら見えます。
私の読経の声より、子どもさんたちの泣き声が高かった。
ブッダいわく
「昼夜は過ぎ行き、生命はそこなわれ、人間の寿命は
尽きる。小川の水のように」
紫シキブが色づきだしました。
「お墓のコンクリが割れて、それに、墓石を磨きたい。50万かかると
いわれました。和尚さんが知っておられる石材屋さんに頼みたい」
とご夫婦。
A石材屋さんを呼んで、見積もってもらったら、20万も安い。
こんなことをしたり、
「総代会」を開いて、「寺の駐車場の工事」や「首塚の土地のこと」
「晋山式の時期」 と、やっと深い、深い話し合いができました。
お盆後も20分の昼寝もできません。
この身で三つのものを離れたら、人は安穏になれる
と智慧豊かな人は説いてます。
「色かたち」(すべての諸々の存在するもの)は棄てられたものと
観じなさい。
三つとは「寿命」と「体温」と「識別作用」ですよと。
これが命の特性ですと言います。
「キンカチャ」が大きく育っています。
寒蘭「肥の輝」の新芽も伸び。
「王心」もふたつ芽がのびていました。
この記事へのコメントはありません。