「生きているうちに、できることはやっておこう」と私は
思うし、そう考える方が多くなりました。
「このような納骨堂を造ってもらってありがたい」
私にぽつりと兄弟はおっしゃいました。
すでに亡くなった「祖父母、父母、弟」それに今生きている
今日見えた方。
合計 6人ですか。「当寺が永久に遺骨を壺のまま弔い
ます」
他の「合祀 ごうし」にして永代供養のお寺はあります。
樹木葬のお寺もあります。
それなのに、当寺に見える方がぐんと多くなりました。
「世界や宇宙は永久に存続するのか、ある時期に消えて
なくなるのか?」
今の天文学でも両方の説があります。
「霊魂と身体は同一か別のものか?」
これもむずかしいことです。
「吾未(いま)だ生を知らず。いずくんぞ死を知らんや」
論語から。
つまり、「自分には、生きていることの意味がわからない。
それなの、にどうして死後のことがわかろうか」
ブッダの道は「立派な人として生きるということ」です。
人間は、特に感情が激してカッとなることもあるでしょうが、
それはいけない、自分のこころを整え、心を静めよということ
です。
人間は死後どこへ行き、どういう形になっているかということは、知ろうと思っても確実な根拠は何もありません。
そこで我々が為し得ることは「その方から受けた恩を思って
追慕するということ」で、仏典でも薦められていることです。
生き残っている人が追憶の法事をするということに帰着
すると思います。
8月24日は「地蔵盆」です。
寄進者を張りだしました。
建てようと発願した仏教婦人会長さんの願いは、永久(とわ)に
形として残ることになりました。
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